移籍市場の理解に有益なアーセナル関連ジャーナリスト

アーセナル関連のジャーナリストの紹介記事です。移籍情報をすべて追うためにフォローすべき人を列挙するのではなく移籍市場の動きを理解するために有益なジャーナリスト (あるいは反面教師となるジャーナリスト・情報ソース) を紹介していきます。

 

 

Fabrizio Romano

圧倒的な情報量・信頼性・速報性を誇る移籍情報のguru。大物代理人とのネットワークを通じて掴んだ情報を特ダネ (exclusive) として報道することもありますが何よりも重要なのは移籍情報のハブとして機能している点です。ドミノ現象がつきものの移籍市場の理解には個々のクラブを追ってるだけでは不十分、市場全体を網羅的に追う必要があります。

情報の信頼性も特筆すべき点です。キャッチフレーズの "Here We Go" はクラブの公式発表とほぼ同じ。彼のツイートさえ追っていれば主要選手の移籍をすべて捕捉可能といっても過言ではありません。

片野道郎氏によると元々は Sky sport のデマルツィオ・グループの一員。同グループがセリエを対象として培ってきた手法を英語圏に展開したそうです。本人曰く、若いころは(今でも十分若いですが)ミラノ市内の代理人がよく使うホテルで張り込み取材のチャンスをうかがっていたそうです。

TwitterやYoutube、ポッドキャスト、サブスクMLなど多様なチャンネルを通じてリアルタイムで移籍情報を発信します。内容もオフィシャルなオファーの有無から交渉の参加者、交渉期限の設定の有無、噂の案件についての各クラブのスタンス等々、視聴者の疑問に答える形で詳しく解説します。解説は平易ですが理屈を押さえています。ファイナンスや交渉術に関するバックグランドがあれば移籍交渉の進め方について有益な知見を得られるでしょう。信ぴょう性の低い噂については分からないとはっきり言ってくれる点でも好感度が高いです。

滑舌が良く動画やポッドキャストを早送りしながら聴けるのも👌チーム内にエゴサ担当がいるのか、Fabしか手がかりがないのに他のジャーナリストのコメント欄に突然首を突っ込みツイッタラーを驚かせることもあります。

 

David Ornstein

プレミアリーグの話題についての圧倒的な情報量と信頼性。特にアーセナルについては唯一無二の存在といえます。チェルシーのトライアルを受けるなどフットボーラーを目指していたそうですが、その道を進むのが難しいと分かり、メディア関係(ラジオ?)の親戚の手伝いをしているうちに業界に関心をもち始め、ボーンマス大学のメディア学科 (?) に進学したとか。在学中に長期インターンシップで実務経験を積むとともにジャーナリストとしての心がけを徹底的に叩き込んだそうです。

BBCからThe Athleticへと活動の場を移してからは移籍市場だけでなくクラブの長期計画やオーナーシップ、ビジネス面など様々な角度から取材してアーセナルというクラブを掘り下げる内容の濃い記事を執筆しています。

移籍市場についても2020年末にクラブのターゲットが10番とCBであることを報じ、ホワイト獲得に乗り出したことを他に先駆けてスクープするなどクラブ内部にハイレベルのソースを持っています。The Athletic が社内規定で裏どりできていない情報を流すことを禁じているため速報性では Romano 氏に劣る部分もあります。しかしながら一番重要な動きをすっぱ抜くのは大抵Ornstein氏です。

Covid-19感染者が出た場合のPLとの折衝やプロトコル遵守状況の臨時検査の受検といったアーセナルFCが公式に発表しにくい内容を外部にリークするチャンネルとしての役割も果たしています。センシティブな話題を扱うときの言葉のチョイスや内容のさじ加減などジャーナリストとしてのスタンスも素晴らしいです。

 

 

James McNicholas

The Athleticの記者で gunnerblog  を運営。最近は Youtube 動画もはじめました。Arsecast Podcast (Extra Ser.) にも毎週登壇しており、その時々の話題について解説しています。

取材で得た特ダネを報じるというよりクラブのビジョン・マネジメント体制・中長期プランなどと関連させながら移籍市場での立ち回りやチームのパフォーマンスについてアーセナルFCを深堀りします。Ornstein氏と共にクラブ内部のソースに取材して速報性の低いものについてはMcNicholas氏が記事にしていることが多い印象です。移籍市場が閉じるや否や The Athletic にあがる「アーセナルが移籍ウィンドウ内でいかに立ち回ったか」のまとめ記事は特に有益です。最近は取材を通じて得た知見を活かし、移籍交渉がどのようなプロセスで行われるかをポッドキャストやYoutube動画で解説したりします。

余談になりますが兄弟の Charlie McNicholas はラムズデールのエージェントを務めています。

 

Amy Lawrence

The Athletic の記者でクラブのビジョンやカルチャー、ファンとの連帯といった情緒的部分について多くの記事を執筆しています。ピッチ上のマネジメントは McNicholas氏、ピッチ外のマネジメントはLawrence 女史が主に担当しているとも言えます。

彼女の記事そのものは移籍情報にあまり触れません。しかしながらアーセナルの移籍情報を理解するうえで最も重要である「アルテタの記者会見やエドゥのインタビューの読み解き」において、彼女の記事を読んでいるかどうかで行間を読み取る能力が格段に違ってきます。Tier2.5-3.5 のジャーナリストが報道する移籍の噂などより遥かに重要と言えるでしょう。

他に特筆すべき点として英語の美しさを指摘できます。彼女の記事を読むには一定の語彙力が求められ、少なくともブログ主はすらすらと流し読みできませんが、侘び寂びの効いた趣き深い英語を使われます。

 

Ben Jacobs

フットボールにとどまらずゴルフ・テニス等にも関わってきたフリーランスのスポーツ・ジャーナリスト。Ben-jacobs.com によるとBBCでフットボール関係のレポーターを務めた後、活動の拠点を中東(UAE?)に移し、ラジオ番組のプレゼンター・コメンテーターやBeinスポーツの英語ニュースの編集責任者、スポーツ雑誌の創刊などに携わってきた経歴の持ち主です。現在はフリーランスとして各種メディアを通じてフットボール・ビジネスからデータ分析の動画まで幅広い情報発信を展開しています。

最近ですと、サウジ・プロリーグの狙いや戦略、あるいはマンチャスター・ユナイテッドのクラブ売却交渉の進展についての詳しい解説が参考になります。移籍市場を理解するうえで欠かせないフットボール・ビジネスの展開について多くの exclusive な情報を発信しています。株式を取引する際に金利などのマクロの経済指標から目を背けて個々の企業の株価ばかり追っていたらどうしようもない投資家と言わざるを得ません。移籍市場についてもまったく同じことが言えます。しっかり理解したければ移籍市場をとりまくマクロ経済や地政学についての知識が必須です。Jacobs氏はフットボール・ジャーナリストの中ではそうした話題を一番多く報道してくれる貴重な存在です。

個々の移籍案件に目を向けると、移籍交渉の進展についてリアルタイムに情報発信していますが、それよりも移籍交渉の初期段階や途中段階における各クラブの立ち回りや思惑、交渉の争点についての丁寧な解説が有益だと思います。2023年冬のミヒャエル・ムドリクの移籍交渉でも、シャフタール・ドネツクとの交渉の難しさを詳しく解説していました。

 

Charles Watts

Football.LondonGoal.com のアーセナル番を経て最近独立。Goal.com でスパーズやチェルシーも担当させられ、それが苦痛で独立を決心したとか(笑)。クラブ内部のソースに取材して記事を執筆するというより、現場で掴んだ細かな情報をおもに報道します。

移籍市場については2020年夏のデッドラインデイにトーマス・パーティー獲得に動いていることを報じるなど、たまにスクープもありますがクラブ内部にハイレベルの情報源を持ってる訳ではなさそうです。2021年夏にブエンディアへのオファーが報じられた際は、自身のYouTubeチャンネルにて ”色々な人に当たったけど正式なオファーをしたかは分からない” と繰り返していました。

ほぼ毎日更新している YouTube 動画では移籍の噂も取り上げますが、自身の解釈や考察が中心で特に新しい情報を報じることはありません。それよりもアーセナルの試合内容を喜んだり悲しんだり視聴者の気持ちを代弁する姿が印象的です。ファン代表といった趣きのジャーナリストです。

 

Chris Wheatley

Football.London を経てどこだかに移籍した初日にジャーナリストとしての信頼を失墜させる大チョンボをやらかした人。現在は National World Publishing のフットボール番をしているようです。

移籍情報については Football.London 時代に積極的に発信していましたがクラブ内部にハイレベルのソースを持っている訳ではなく代理人からのリーク頼みでした。そもそも Football.London 自体が信憑性の極めて低いメディアでアーセナルに関係する内容を報じている海外メディアがあればそれをほぼ翻訳して垂れ流します。Wheatley氏が報じていた情報は、そうしたゴミ記事ではありませんでしたが、例えば、色々とうるさいトレイラ代理人がクラブと駆け引きするための情報発信に手を貸す代わりに、ヴィオラ移籍の情報(代理人から入手した契約書サインの瞬間の写真など速報性は高い)をバーターとして入手して exclusive として報じていました。2021年夏にアーセナルがマディソン獲得に動くと報じたときも似たような感じでいわゆる代理人に利用されるタイプのジャーナリストと言えます。

EURO2020で心肺停止したエリクセンが持ち直した際に、それを報じた Romano氏に対して何が気に入らなかったのか "恥をしれ" と暴言をはいたことも。(安堵している家族の写真をSNS上に投稿したのが気に入らなかった?)

当時、多くの情弱グーナーが "最近は Chris Wheatleyが一番信頼できる" と見当違いなことを言い放っていましたがブログ主は当時から "写真週刊誌の記者みたいなやつ" と否定的。一年前にWheatley氏がやらかした時の感想も"それ見たことか" でした...

 

The AFC Bell(活動休止)

2020年夏にトーマス・パーティの移籍を予言、Ornstein氏やRomano氏がアーセナルはパーティ獲得から距離を置いているようだと発言している間も "アーセナルはパーティを獲得する" と言い続け、予言が実現したことで熱狂的信者を集めた通称ベル神。

その正体はアラビア語圏向けの aggregator でエミレーツ内のレストラン・シェフにインタビューするといった独自企画にも取り組んでいた ArsenicTM の運営メンバー。ジャーナリスト的な活動の試みとしてパーティ・キャンプとのコネクションを築き、そこで得た情報をアラビア語で TheAFCBell のアカウントを通じて預言者かのように発信したのが始まり。

実はアーセナルの2020年夏の移籍オペについては移籍ウィンドウが閉じた後に The Athletic によって詳細に報じられました。その時点でパーティ獲得がアワール獲得の失敗やチェルシーによるジョルジーニョ放出拒否によって消去法的に実現したことが明らかにされています。ところがそうした情報は広まらず、翌年も🔔がマディソン移籍を預言して多くのファンをドギマギさせたのはご存じの通りです。それだけなら笑い話でよいのですが、Romano氏が "アーセナルのプライオリティは一貫してウーデゴール、マディソンに対する関心はあるけれど具体的な動きはない" と🔔とは異なる情報を発信する度にベル信が彼を誹謗中傷する始末(怖)。 (補足:当時ウーデゴールの獲得に対して一定数のグーナーが猛反対していたという背景があります。)

ブログ主は🔔の正体を知っていたので高みの見物でしたが、いかに多くの人が自分の信じたいものしか信じないかがよく分かりました (笑)。

 

Tier2.5-3.5のジャーナリスト

具体的に名前をあげると Sam Dean (Telegraph), Simon Collings (Standard Evening), Jacob Steinberg (Gurdian), James Benge (CBS), James Olley (ESPN), Sami Mokbel (Daily Mail), Mark Irwin (The Sun) といった面々です。

結論から先にいうと移籍の噂に踊らされたいのであれば彼らの情報を追う価値はありますが、移籍市場について理解を深めたいのであれば追う必要性はほぼゼロです。Romano氏とOrnstein氏を定点観測していた方がはるかに有益です。

上で挙げた方々はクラブや代理人から独自に入手した情報を流しますが exclusive として報じる場合の情報ソースはほとんどの場合、選手サイド。信頼性はかなり低いです。例えば、リース・ネルソンは契約延長交渉において何度かクラブからのオファーを断ったのですが、その度に Mokbel 氏が「選手はオファーを拒否、夏にフリー移籍する」と報じ、Romano 氏が「選手はオファーを拒否したが交渉はまだ続いている」と訂正していました。この例のように部分的には正しくても全体として誤っている情報が報道される訳です。他にも今夏のクラブ予算は200Mポンドといった外部に漏れるはずのない情報を適当に記事にしていたり、FFP関連でいい加減な記事を書いているケースが散見されます。誤りをふくむ情報を数時間はやく入手したからといって移籍市場を理解するうえでは何の役にも立たないことはお分かりいただけるでしょう。

上で名前をあげた方のなかだとDean氏やCollings氏は目新しい情報もない反面、余計なことを言わない印象です。逆にMokbel氏やIrwin氏は正しい場合も間違っている場合もあるexclusiveを報じることが多い気がします。いずれにせよ上記ソースは移籍市場を理解したい人にはお勧めしません。もちろん噂に踊らされたい人にとっては楽しいメディアですし、選手の独占インタビュー記事なども当然面白いので、ご自身のスタンスに合わせて内容を選んで付き合っていくのが良いと思います。

なお、ブログ主はFFPの仕組みを普通の人より詳しく理解しているため、FFP関連でいい加減なことが書いてあればすぐに分かりますし、Romano氏やOrnstein氏のような一流ジャーナリストが不確かな情報に決して深入りしないことも分かります(FFP関連の話題になるとThe Athletic の記者ですらいい加減なことを書いているケースがあります)。ジャーナリストの信憑性を評価する上で報道内容が実現した実現しなかった以外の評価軸をもつのはおススメです。

 

まとめ

Twitterやポッドキャストで信頼性の高い包括的な情報を速報で流すRomano氏は例えるならNHK。クラブ内部への取材に基づき速報と分析記事を発信するThe Athletic執筆陣は新聞と出版の両部門を抱える日経新聞社。マクロな視点からの情報発信に特長のあるBacobs氏はNewsweek、現場で得た情報をファン目線で届けるWatts氏は私設ファンクラブの会報誌取材班。選手サイドから得た情報を速報で流すWheatley氏は写真週刊誌の取材班、特ダネで世間の注目を集めたAFC Bellは週刊文春といったところでしょうか。

 

おまけ 

メディア・リテラシーを磨くうえで参考になるジャーナリストとして、Skysportドイツ のバイエルン番記者 (Tier 1) でアヤックス関係にも強いFlorian Plettenberg氏をおまけで取り上げてみたいと思います。今年はライスとティンバーの移籍話でよく話題にあがったので覚えておられる方も多いでしょう。

5月下旬にPlettenberg氏は "トゥヘルがライスと面会して好感触を得た",  "バイエルンがライス獲得に向けて動く見込み" と exclusive で報じました。その後、バイエルンからの具体的な動きはなく話が立ち消えになったのはご存じのとおりです。一方、ティンバーについては第一報こそOrnstein氏に譲りましたがその後はTier1らしい安定感で交渉の進展を報道していました。それではライスの件でPlettenbergは信用を落としたのでしょうか。

結論からいうとライス報道を真に受けて信憑性が落ちたと判断する人は報道の表面しか追っていない人といえるでしょう。移籍市場を理解できている人であれば、Romano氏が報じているバイエルン関係の情報(例えば、リュカ・エルナンデスの移籍報道)と結び付けてカーンとサリハミジッチを解任したバイエルン内部の混乱や、補強候補の選定におけるトゥヘルの発言力増大を読み取ることができます。ライス報道についてもPlettenberg氏の報道内容は間違っていないが、かといってライス獲得に動くかどうかは全く別の話と聞き流すことができたでしょう。ロンドンに訪ねてきたトゥヘルから起用法などを説明されたライスがその場ではバイエルン行きを断らないけれども、時間の経過とともに選手本人の希望が代理人を通じて伝わり、バイエルン内部でライス獲得のオファーをしない判断に至るという展開は普通にあり得ます。

報道内容が "結果的に実現した実現しなかった" でジャーナリストの評価やTierをコロコロ変えているようでは移籍市場は十分理解できません。取材先の状況や移籍市場全体の動向などとも結び付け、報道内容の行間を読むことができるかどうかが重要と言えるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

クロエンケさん改心されました?

 

アーセナルの金融負債のグラフをツイートとたところ、多くのグーナーから資金注入して大型補強したからアーセナルが復活したんだ!とかLAラムズが優勝したからカネが余ってるんだろ!スーパーリーグで失敗した罪滅ぼしだ!といった様々な意見をいただきました。加えてユナサポやKOPからも クロエンケが改心したのは何故だ?グレイザーはクロエンケを見習え (怒)FSG😢 といった声が...

 

はっきり言ってほとんどが事実誤認です(笑)

 

リプや引RTに目をとおした範囲だと KOPのだいけさんだけが正しく理解されていました。この記事ではKSE (Kroenke Sports Entertaiment) による資金注入の意味と背景について解説します。

 

 


1.KSEによる融資

最初にグラフの読み方に関する注意点を1つ。横軸の 2018 や 2019 は Financial Year を意味し、2017/18 シーズンや2018/19シーズンに対応します。海外ビジネスとの関わりがある方にとっては常識ですが、欧米では FY2022 というと 2022年〇月 を期末とする会計年度を指します。日本とは逆ですね。アーセナルの場合、FY2022 は 2021年6月1日から2022年5月31日までの期間を意味します*1

 

上のグラフを見て真っ先に気づくのは以下の2点でしょう。

  1. FY2021 にオーナーからの借入(Balance due to parent undertaking)が大きく増えていること
  2. FY2020 まで記載されていた固定利付債務 (Fixed rate bonds), 変動利付債務 (Floating rate bonds), 金利スワップ(Interest rate swaps) がFY2021に消えていること

 

パンデミックが直撃した2020年夏を除けば、2019年以降のアーセナルは毎年、ビッグサマーを経験してきました。グラフを見た多くの方が クロエンケが改心して選手補強の資金を出すようになったんだ と思ったのは致し方ないことかもしれません。しかしながら それは完全な誤りです。負債の早期償還のためにKSEから融資を受けたにすぎません。

もう少し詳しく説明しましょう。グラフより FY2018 と FY2019 の金融債務が 1) 固定利付債務、2) 変動利付債務、3) 金利スワップ、4) 無担保ローン債務 の4種類で構成されていることがわかります。それらはすべてエミレーツ・スタジアムの建設資金の調達にともなう債務です*2。それぞれの詳細は以下のとおりです。

  • 固定利付債務:利率は5.14%。2029年まで毎年約20Mポンドを元利均等払い(住宅ローンや奨学金のような元本返済額と利子の合計が時間を通じて一定の返済方式)で返済する。
  • 変動利付債務:50Mポンドの元本を2029-2031の3年間に分割して返済する。完済するまでの期間、市場金利にもとづく利子を債権者に支払う。
  • 金利スワップ:金利リスクをヘッジするために金融機関と結んだデリバティブ契約。契約期間は (おそらく) 変動利付債務を完済するまで。金融機関は変動利付債務の債権者に対して市場金利にもとづく利子を支払い、アーセナルは金融機関に対してデリバティブ契約で定めた固定利率5.75% (FY2020) の利子を支払う*3。市場金利が固定利率を下回る状況ではデリバティブ契約を結ばない場合よりアーセナルが支払うべき利子が増えるため、デリバティブ契約の含み損を債務として計上する。
  • 無担保ローン債務:2003年に調達した10.2Mポンドにともなう債務で 2.75% の複利で返済額が増える。債権者は2028年までにアーセナルに返済請求する必要がある。

上記の債務の課題として、市場金利が資金調達時よりも大きく低下した結果、固定利付債務や金利スワップにもとづく利払い負担が相対的に重くなっている点があげられます。この課題に対処するためにアーセナルが行ったのがKSEからの低金利での借り入れと上記 1-3 の債務の早期償還です。債務を増やすことなく毎年の利払いを減らそうとしました。

KSEからの借り入れには利払いの減少の他に2つのメリットがあります。1つは 返済期限の先送りです。KSEからの借入については返済期限が設定されていません。KSEから(2年以上の猶予をもって)返済を求められると返済義務が発生します。早期償還前は毎年、利子に加えて固定利付債務の元本も返済していました。FY2019 だと 9Mポンドを返済していましたが、元本返済が当面必要なくなったことでキャッシュ・フローが改善しました。もう1つは利用可能なキャッシュの増加です。早期償還前は固定利付債務の担保として36MポンドをDRSAと呼ばれる別口座に預けておく必要がありました。早期償還により債務の返済以外の目的には使えなかった資金が自由に使えるようになりました。

早期償還には以上の3つのメリットがありますがよいことだけではありません。固定利付債務の債権者は早期償還された資金を別の金融機関に直ちに預金しても市場金利にもとづく利息しか受け取れません。すなわち、早期償還前に得ていた高い利息を受け取れなくなる訳です。そのため、アーセナルは早期償還により債権者が被る損失を補填する必要があります。FY2021に早期償還の手数料と合わせて32.2Mポンドを特別費用として支払いました。

下のグラフは過去5シーズンの金融費用の推移です*4。FY2019-20は約10Mポンドの利払い負担がありましたがFY2022には約5Mポンドにまで減りました。これが金利差による費用削減効果です。一方、FY2021に一時的に大きく増加していますが、これは上述の特別費用32.2Mポンドを含んでいるためです。

 

早期償還の効果をまとめると以下の4つになります。第一に、借り換えにより金利が低下したことでFY2022以降の利払いが減りました。第二に、元本の返済が当面不要になりました。第三に、DRSAに入っていたキャッシュを自由に動かせるようになりました。第四に、早期償還のための特別費用が発生しました。FY2021の負債の借り換えでは第三と第四の効果が金額的にほぼ相殺したので、結果的に アーセナルは第一と第二のメリットを享受したといえます。

 

2.方針転換の背景

クロエンケ家はFY2019まで1ポンドもアーセナルに資金を入れてきませんでした。FY2020に初めて15Mポンドの融資を行った訳ですが、この時期に融資が行われた理由について解説したいと思います。

 

結論から延べると 2018年 の単独株主化が一番の要因です。2017/18シーズンをもって長期政権を築いた名将ヴェンゲルが退任し、アーセナルは大きな転換点を迎えました。ところが、その僅か3カ月後にヴェンゲル退任に勝るとも劣らない転換点を迎えていました。クロエンケとウスマノフによる株式保有をめぐる冷戦の終結です。

クロエンケとウスマノフ ©Arseblog

 

2018年8月、ウスマノフが手持ちの株(約30%)をすべてKSEに売却することに同意しました。翌年には証券取引ルールに従って残りの少数株主(AST他)が保有する株式が強制的に買い取られます。後にジョッシュ・クロエンケは ”単独株主となったことでクロエンケ家がアーセナルFCの真のオーナーになった” とインタビューで語っています。KSEがアーセナルFCに資金注入する準備が整ったともいえます。

 

アーセナルはポスト・ヴェンゲル時代の最初のシーズンをPL5位とEL決勝での惨敗という残念な結果で終えました。サポーターグループは  #WeCareDoYou とオーナー批判運動を展開し、ジョッシュ・クロエンケが "クロエンケ家はチームを復活させる! Get excited!" と応答したのですが、夏の補強予算が45Mポンドしかないという噂がまことしやかに流れ、オーナー批判は過熱します。ところがふたを開けてみたら 2019年夏は過去最高のビッグサマー。サリバ, マルティネッリ, ティアニー, D.ルイス に加えて 72Mポンドという過去最高の移籍金で二コラ・ペペを獲得します。

実はこの時にクロエンケ家が協力したと言われています。D.オースティンによるとペペの移籍金を分割でリールに支払うにあたりファクタリングの融通などでアーセナルFCを支援したそうです(詳細は不明)。FY2020のバランス・シートには親会社からの借入として初めて15Mポンドが記録されました。

FY2022にもアーセナルはKSEから15Mポンドを借り入れます。2021年夏の移籍市場ではウーデゴール・ホワイト・ラムズデール・冨安ら6選手を獲得する大型補強を敢行しましたが、直前の2020/21シーズンはほぼフルシーズン、無観客での開催であり、パンデミック前は200Mポンド以上あったキャッシュ保有量が大きく減少していました。会計報告書に15Mポンドの使い道の記載はありませんが、運転資金確保のためにKSEが支援したのだと思われます。

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3.まとめ

KSEによる資金注入の内容と背景は以上のとおりです。利払いやキャッシュフローの改善という明確な目的をもっていました。クラブに対する重要なサポートではありましたが、選手補強のための一過性の資金注入などではなかった点はご理解ください。

上のグラフを見ていただければわかるとおり、アーセナルは移籍金を分割払いすることで将来の収益を原資として大型の選手補強を行っています。昨シーズンの勢いを今後とも継続できれば返済が滞ることはありませんが、CL出場権を逃し続けるようだと移籍債務の返済に苦労することになります。その場合にKSEがどのようにアーセナルを経営するかは個人的には興味がありますが... そうならないようにしっかり応援していきましょう!

 

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SoFiスタジアムの建設

本文中では触れませんでしたがKSEによる借り入れが FY2019 以降に始まった別の要因として SoFiスタジアム建設プロジェクトの影響を無視すべきではないでしょう。2020年に竣工した SoFiスタジアム(来週のバルサ戦の会場)の総工費は最終的に 5.5Bドル まで膨らんだと言われています。建設プロジェクトの過程で総工費の上方修正が繰り返された SoFi スタジアム竣工の目途が立ったことでアーセナルに資金注入しやすくなったのではないかと推察されます。

 

*1:アーセナルのように5月31日を年度締めとするクラブもありますが6月30日を年度締めとするクラブの方が多いです

*2:厳密には、1991年にハイバリー・スタジアム拡張工事を資金調達したことによる債務を含んでいます。2143年に14.4Mポンドを返済する必要がありますが、返済は遠い先の話で、利子を支払う必要もないため、バランスシートに時価評価された微小な金額が計上されているだけです

*3:厳密には金融機関とアーセナルは 0.55% を上乗せした利子を債権者と金融機関に対してそれぞれ支払います

*4:元本返済に伴うキャッシュ・フローは金融費用には含まれません

マンチェスター・ユナイテッドがFFPに違反した???

記事の内容

UEFA-CFCB が2022/23シーズンのFFP審査結果を公表しました。マンチェスター・ユナイテッドがブレイク・イーブンルールに違反して軽微な罰金(300,000ユーロ)を科されたことが注目を集めています!

 

ユナイテッドのFFP違反の可能性についてはこのブログでも過去に考察しています。2022/23シーズンの違反はないだろうと結論づけていたのですが見事に外してしまいました💦 しかしながら高精度に予想できていたことも分かりました。言ってることが意味不明ですが記事のなかで説明していきます!

 

この記事では最初に予想が外れた原因について解説します。次に原因を修正するとともに最新の四半期決算(2022/23Q3)の情報を踏まえて ユナイテッドが2023/24シーズンにプレミア・リーグとUEFAのFFPに違反する可能性、さらには今夏の移籍オペレーションに与える影響について考察してみます。

 

本記事での用語の定義

マンUはUEFAプレミアリーグの財務規則に従う必要があります。規則の概要は必要に応じて解説しますが、詳細な内容に興味がある方は以下の記事をご覧ください。

 

FFP違反の可能性を論じるにあたり、この記事ではFFPという単語を財務条件を課す仕組みの総称として用います具体の規則は以下の略称で呼びます。

  • FFP-BreakEven:2011年に導入された UEFA Club Licensing and Financial Fair Play RegulationsによりUEFA大会出場クラブが課される直前3シーズンの累積赤字額に関する規制(この規制がFFPと呼ばれることも多いです)
  • FSR-Stability:2022年6月に導入された UEFA Club Licensing and Financial Sustainability Regulations(UEFA-FSR)により UEFA大会出場クラブが課される直前3シーズンの累積赤字額に関する規制(FFP-BreakEvenの後継ルール)
  • FSR-CostControl:UEFA-FSRで新たに導入された1暦年の総人件費総収入比率に関する規制(いわゆるサラリーキャップ規制)
  • PL-FFP:Profitability and Sustainability Rule と呼ばれるプレミアリーグが導入している3シーズンの累積赤字額に関する規制

 

 

1.違反の原因

UEFAは2018/19-2021/22の4シーズンの会計情報を用いて2022/23シーズンのUEFA大会出場クラブがブレイク・イーブン基準を満たしていたかどうかを審査しました。審査結果が発表されるやいなやユナイテッドは以下の声明を出しました。

“This reflected a change in the way that UEFA adjusted for COVID-19 losses during the 2022 reporting period, which allowed us to recognise only €15m of the €281m of revenues lost due to the pandemic within the FFP calculation.

意訳すると ”COVID-19に起因する2021/22シーズンの収益減として281Mユーロを計上しようとしたけど、UEFAが勝手にルールを変更して15Mユーロの計上しか認めてくれなかったのでブレイク・イーブン基準に違反してしまった" そうです。詳細は省きますがCOVID-19に起因する収入減を多く計上できるほど審査を通過しやすくなります。

スタジアムに観客が戻った2021/22シーズンに281Mユーロも収益が減ったはずがないので2019/20-2021/22の3シーズンの合計金額でしょう。しかし、そう解釈すると今度は15Mユーロしか計上が認められなかった点に疑問がわきます。メディアの記事をいくら読んでも埒が明かないので数字を用いて確かめてみましょう!

 

2.試算の見直し

前回の記事で試算に用いたのは2018/19-2021/22の4シーズンの会計情報です。下の表より2021/22シーズンの赤字146Mポンドが重いことが分かります。スポンサー・コマーシャル収入がパンデミック前の水準に戻っていないにも関わらず、ロナウドやヴァランを獲得して給与が大きく増やしてしまったのが原因です。為替レートの変動による金融費用の増加も重くのしかかりました(グレイザー家がクラブを買収したときの負債がドル建てでポンド安が直撃したのが原因です)。

 

2022/23シーズンのブレイク・イーブン審査(UEFA-FFP)の詳細は以下のとおりです。

  1. 過去4シーズンの累積赤字が5Mユーロ以下なら基準に合格する。オーナーによる増資や利益剰余金の取り崩しがある場合は上限が30Mユーロに緩和される。
  2. 累積赤字は2018/19-2021/22の4シーズンの損益を 1:0.5:0.5:1 の割合で合計して計算する。(通常は直前3シーズンの合計損益で審査しますが COVID-19によるシーズン中断や移籍市場停滞の影響を緩和するための措置が講じられています)
  3. 施設整備・アカデミー・女子フットボール・コミュニティ関連の費用はブレイク・イーブン審査で用いる合計損益から控除する。
  4. COVID-19との関連が明確なマッチデイやコマーシャルの収益減を合計損益から控除する。(上述のとおり2022/23シーズンの審査ではユナイテッドは15Mユーロしか控除が認められなかった可能性があります。

前回の記事における 3. と 4. の部分の計算結果が下の表になります。

薄緑色のセルは会計報告書に記載がないため、フットボール・ファイナンスで有名なブロガー Swiss Ramble氏 (@swissramble) が仮定した数字を借用しました。コロナ損失はCOVID-19の影響がない2018/19シーズンのマッチデイ収入とスポンサー・コマーシャル収入の減少分、無観客開催による試合開催費用の減少分、放映権者へのリベート等を考慮して推計しています。

上記の 2. の重みで合計損益を計算すると 35Mポンド ( = 60 + (33 + 148) / 2 - 115 ) の黒字になります。累積赤字額の基準以内に収まっているのでブレイク・イーブン審査に合格するはずでした。それではユナイテッドが声明で述べた通り コロナ損失を15Mユーロ ( 13Mポンド ) しか計上できなかった場合はどうなるでしょう? 

合計損益を計算すると 27.5Mポンド ( = - 60 + ( - 18 - 11 ) / 2 + 102 ) の赤字、ユーロに換算すると32Mポンドの赤字です。ユナイテッドの声明を反映させたところ 累積赤字額が基準値の30Mユーロをわずかに超過しました。

コロナ損失の計上額が減らされた理由は不明ですし、当該措置がユナイテッド以外のクラブにも適用されたのかなど色々と疑問はつきません。しかし、”ユナイテッドがブレイク・イーブン基準にわずかに不合格となり軽い罰金を科された” ことの説明はつきました。ブログ主としては大満足です👏。

上記の試算について2点ほど補足説明をしておきます。第一はグレイザー家によるサポートについてです。グレイザー家がクラブにカネを出していれば違反しなかっただろうとの指摘がありますがおそらく関係ないでしょう。

ブレイク・イーブン基準における累積赤字額の基準値はオーナーの増資に加えて利益剰余金の取り崩しでも緩和されます。世界でも1, 2を争う超人気クラブのユナイテッドは圧倒的な収益力を誇り、毎年20M前後の配当を支払っていたにも関わらず、2022年6月末の時点で270Mポンドの利益剰余金があります。グレイザー家がクラブを買収して以来、増資は全く行われていないのですが、ブレイク・イーブン審査における累積赤字額の基準は緩和されているはずです。The Athletic のような信ぴょう性の高さを売りにするメディアであっても FFPの細かい部分になるとまちがっていることが往々にしてあるのでご注意ください。


第二はユナイテッドの違反と他のクラブの違反との違いについてです。今回は基準値を超過しましたが軽微だったので軽い罰金ですみました。学校の試験でいうと合格点をわずかに下回ったけど追加レポートで救済された状況といえます。昨シーズン、PSGユベントスなど8クラブがブレイク・イーブン基準に違反しました。ユナイテッドより重い罰金を科された上、今後 2-3年間、毎年経営状況を監査されます。最終目標/中間目標を達成できない場合にはUEFA大会の登録選手数の制限や大会参加資格の喪失といった重いペナルティを科される可能性もあります。学校に例えると授業の出席状況やテスト成績について定期的に面接指導を受けている状況といえるでしょう。マンチェスター・シティは過去にUEFA大会出場への出場禁止処分を科され、CAS (Court of Arbitration for Sports) に訴えて処分取り消しを勝ち取りました。現在もプレミア・リーグから115件の違反を問われています。こちらはカンニングを示唆する証拠が見つかり休学・留年・退学といった重い処分が検討されている状況といえるでしょう。ひと口にFFP違反といっても様々なケースがあります。

追記:コロナ損失の取りあつかい

ユナイテッド他18クラブは2021/22シーズンのFFP審査において、コロナ損失や2015/16-2016/17シーズンの損益を加味することでギリギリ基準を通過したことでウォッチリストに入れられました。その際、UEFA-CFCB が ”The CFCB First Chamber reminded these clubs that as from financial year 2023 these exceptional COVID deductions (and consideration of historical financial results) will no longer be possible.” と言明しています。コロナ損失の計上額が制限されたのはウォッチリストに入れられたことが原因ではないかと思われます。

 

3.FFP違反の可能性

2022/23 から 2024/25 の間に UEFA-FSR と PL-FFP に対する違反を問われる可能性について考えてみましょう。

(1)遵守すべき規制

ユナイテッドはプレミアリーグが課すPL-FFPに加えて、UEFA大会に出場するシーズンにFSR-StabilityFSR-CostControlを遵守する必要があります。現在はUEFA-FFPからUEFA-FSRへの移行期間中のため少し複雑ですが、基準値は下の表のとおりです。

UEFA-FSRとPL-FFPの審査対象期間

 

例えば、2025/26シーズンの場合*1、ユナイテッドは2022/23-2024/25の3シーズンの合計損失が105Mポンド以下でないとPL-FFPに違反したことになります。同様に同シーズンにUEFA大会に出場する場合、1) 2022/23-2024/25の3シーズンの合計損失が90Mユーロ以下でないとFSR-Stabilityに違反したことに、2) FSR-CostControlにより2025暦年の総人件費総収益比率(=総人件費/総収益)が70%以下でないとFSR-Stabilityに違反したことになります。

 

参考:2022/23 と 2023/24 の損益の試算

公開されている最新の会計報告書は2022/23シーズンの第3四半期決算です。2021/22シーズンの第3四半期決算からの伸び率を下表の一番右の列に示してありますがスポンサー収入が大きく伸びていることが分かります(3年ぶりのプレシーズンツアー実施とTezosとのトレーニング・キットのスポンサー契約が主な要因)。2023/24シーズンは過去最高の収益(630-640Mポンド)になる可能性があるそうです。CL出場権を逃したことで給与が大きく減少する一方で開催試合数の増加やインフレによりその他の現金支出が大きく増加しています。

第3四半期決算を参考に 2022/23 と 2023/24 の損益を試算した結果は下の表になります。2022/23シーズンの損益は以下の方法で推計しました。

  • マッチデイ収入:ホーム試合数と1試合当たり収入4.3Mポンドを用いて試算。
  • 放映権収入:プレミアリーグ放映権料の前年度比での伸び率(11%)を反映し、カラバオ優勝・FA杯準優勝・ELベスト8の賞金とプレミアリーグのメリット・ペイメントを前年度分に入れ替え。
  • スポンサー収入:第3四半期の数値を用いて試算。
  • 給与:ポグバら退団選手とCR7の半年分を減算、2022年夏の獲得選手分を加算、前年度からの在籍選手分を25%減額。
  • その他費用:第3四半期の伸び率を用いて試算。
  • 減価償却費:Transfermarkt の数値を参考に新加入選手の移籍金を反映。

2023/24シーズンも2022/23と同様の方法で試算しました。2023年夏の移籍オペレーションについてはマクトミネイとD.ヘンダーソンが退団、それ以外の選手補強はないと控えめに想定しました(既に移籍が決定したマウントやデヘアの分は反映していません)。

損益の試算(2022/23-2023/24)

 

参考:FFP損益の試算

FFP損益については下の表のように試算しました。2019/20 - 2021/22 のコロナ損失はSwiss Ramble氏の推計、2022/23についてはUEFAが認めた金額を用いています。エバートンの違反疑いでも争点になっていますがプレミア・リーグがコロナ損失をどこまで認めるかは不透明なので参考程度の数値とお考えください。

FFP損益の試算(2022/23-2023/24)

 

(2)2022/23シーズン

ユナイテッドはELに出場したので FFP-BreakEvenPL-FFPの審査を受けました。FFP-BreakEvenについてはUEFAが発表した通り軽度の違反がありました。PL-FFPの審査結果は公表されませんが、違反していた場合はエバートンと一緒に起訴されたはずなので、問題なかったのでしょう。

 

(3)2023/24シーズン

ユナイテッドはPL-FFPFSR-CostControlの審査を受けます。累積赤字額に関するブレイク・イーブン基準の後継ルール(FSR-Stability)はUEFAのFFPルールが新ルールへの移行中のため2023/24シーズンは適用されません。

 

PL-FFP

PL-FFPの累積赤字額の基準値は15Mポンドです。ただし 安全な資金調達(secure funding)があれば最大105Mポンドまで緩和されます。プレミア・リーグの規則集にて安全な資金調達とはオーナーによる増資・負債株式化とPL理事会が認める資金調達方法と定義されています。グレイザー家は毎年配当を受けとる一方でクラブにカネを入れないことで有名です。しかし、常識的に考えれば利益剰余金の取り崩しもPL理事会によって安全な資金調達方法として認められるでしょう。以下ではPL-FFPの基準値が105Mポンドであるとして話を進めます。15Mポンドという可能性も一応ある点だけはご注意ください。

さてユナイテッドの 2019/20-2022/23 の累積赤字額を計算してみましょう・・・

 34Mポンド [ = ( -33 -148 ) / 2 + 102 + 22]  !!!

基準値である105Mポンド以内に収まりました。ユナイテッドは6月末に選手の駆けこみ売却を行いませんでした。2023/24シーズンにPL-FFPの違反を問われることはないと判断しているのでしょう。

 

FSR-CostControl

2023/24 の FSR-CostControl では、移行措置により2023暦年のスカッドコスト比率が90%未満の場合に合格となります。スカッドコスト比率の定義は次のとおりです。

   スカッドコスト比率 \, = \, \dfrac{給与+減価償却費}{営業収益+選手売却益}

分子の給与はトップチームの監督や選手が対象です*2。分母は営業収益と選手売却益*3の合計です。

スカッドコスト比率の計算には、2023暦年の営業収益・給与・減価償却費を計算する必要があります。少し雑ですが 2022/23 と 2023/24 のそれぞれを平均して求めることにしました。以上の準備により、2023暦年のスカッドコスト比率が以下の通り求まります。

   スカッドコスト比率 \, = \, \dfrac{給与+減価償却費}{営業収益+選手売却益} \, = \, 69 \%

CL出場権を取り戻した効果が大きく基準値の90%を大きく下回りました。FSR-CostControlについては全く心配する必要はないでしょう。

なお、90%という基準値は 2023/24 だけです。2024/25 は80%、2025/26 以降は70%と厳しくなっていきます。2023/24シーズンは2年ぶりにCLに出場するため給与が大きく増えるため引き続き人件費を管理していく必要があるでしょう。

(4)2024/25シーズン

2024/25 のユナイテッドは PL-FFP の審査とUEFA大会に出場する場合には FSR-StabilityFSR-CostControl の審査を受けます。FSR-CostControlに違反する可能性の試算には2024/25シーズンの損益予想も必要なので、ここでは PL-FFP と FSR-Stability に違反する可能性だけ見たいと思います。

PL-FFP

2021/22 以降の3シーズンの累積赤字額を計算すると・・・

 109Mポンド [ = 102 + 22 - 15 ] !!!

パンデミックの期間に経営面で頑張った効果を計算に含められなくなり、基準値である105Mポンドとほぼ等しい数字になりました。2023/24シーズンの損益は粗々なので参考程度の数値でしかありませんがユナイテッドが今夏の移籍市場においてFFPに違反しないように注意しているという報道があるのも頷けます。

FSR-Stability

FSR-Stability は PL-FFP とほぼ同様の仕組みですが基準額が異なります。加えて新ルールへの移行期間のため 2024/25シーズンの審査では 2022/23 と 2023/24 の2シーズンの合計損益を用います。基準値は 80Mユーロ ですが計算してみると・・・

 8Mユーロ [ = ( 22 - 15 ) × 1.14 ]

UEFA-FFPからUEFA-FSRへの移行措置もあり、こちらは余裕で審査を通過できそうです。2023/24の損益は仮定を積み重ねて試算したので断言はできませんが FSR-Stabilityの心配は不要でしょう。

 

4.まとめ

結果を整理すると下の表のようになります。何も手を打たない場合には 2024/25シーズンにPL-FFPに違反する可能性があります。

まとめ:FFP違反の可能性

 

ユナイテッドはパンデミックの影響をうまく乗り切りましたが、2021/22シーズンの大型補強と成績不振、さらには2022/23シーズンの大型補強が重くのしかかっています。2022/23シーズンの収益見通しが明るく、2023/24シーズンにはCLに出場するので状況は上向きではありますが、選手補強を用心深く行っていく必要はありそうです。

 

おまけ:クラブ売却とFFP

現在ユナイテッドの売却交渉が行われています。オーナーが変更になるとグレイザー家とは異なり新オーナーがクラブにカネを入れる可能性があります。ただし、利益剰余金の取り崩しという形ですでに基準が緩和されているのでオーナーの増資によりFFP基準を遵守しやすくなることはないでしょう。一方、クラブ財政に重くのしかかっているグレイザー家が買収した際の負債はおそらくなくなるでしょう。毎年支払っている20-30Mポンドの利息が減ることでFFP基準を確実に遵守しやすくなるはずです。

 

*1:厳密には2025年3月に2022/23-2023/24の会計報告書と2024/25の予想損益を提出します

*2:損益計算書には女子サッカー部門や事務管理部門などを含む総給与額が書かれていることが多く、一般に内訳の記載がないことから、本記事ではSwiss Ramble氏にならって総給与の9割が監督・選手の分であると仮定しました。

*3:現在は移行期間中のため、1) 2023暦年の選手売却益、2) 2022-2023暦年の選手売却益の1/2、3) 2021-2023暦年の選手売却益の1/3、の中の一番大きな値を用いることができます。将来的には過去3年の売却益の1/3になります。